大学院での専攻より
魅力のあった
教育の道を選んだ。
大阪大学および大学院在学中の6年間、私は非常勤講師として創学ゼミで高校数学を担当していました。大学院では化学工学を専攻し、「ものづくり」を通して世の中に役立つ商品開発をしようと考え、卒業後はあるメーカーに就職することを決めていました。しかし当時直接の上司であった現創志学園高校校長の林秀臣先生から「私と一緒に創学ゼミを兵庫県でNO.1の現役合格予備校にしてほしい」との話をいただきました。本当に悩みましたが、林先生に声をかけてもらえたこと、そして生徒からの「ありがとう」の言葉が忘れられず、この会社に就職することを決めました。
衛星授業には
一度も負け知らず。
入社2年半後に加古川校(兵庫県加古川市)の責任者になりました。加古川校の目の前には、日本一の生徒数を誇る衛星予備校の教室がありました。私は「ライブ授業一本」で、その衛星予備校より多くの高校生が通ってくれる教室にすること、そして大学進学実績でも負けないことの2つを誓いとし、仲間とともにがんばってきました。その結果、私が責任者になってからの9年間は、一度もライバル予備校に生徒数・進学実績で負けませんでした。また中学部である創造学園中3からの高1進級を推進する「中高連動プロジェクト」の総責任者となり、「創造学園のがんばりが創学ゼミで花開く」をキャッチフレーズとして、小中高12年間一貫教育の推進を行ってきました。今では毎年1000名以上の創造学園中3生が高等部に進級してくれます。